湯河原温泉の発見説
大化の改新後まもなくの674年に加賀の国(金沢)から、名族の血統である二見加賀之助が、新しい政治の圧迫を逃れる為に湯河原に移住し、開拓の際に温泉を発見したという説が残されています。また、奈良薬師寺の大高僧、行基(ぎょうき)が大仏を作るための寄付を集めるために全国を旅している最中に、箱根山で病でうずくまっている乞食に出会うところから物語が始まり、乞食に言われるまま彼を背負って渓谷に向かうと湯が湧き出し、湯に入るとあっと言う間に病が直っただけでなく、実は正体は薬師如来だったという話が残されています。
これ以外にも、同じく大高僧の弘法大師が湯河原の谷で修行した際に見つけた説や、優れた修行僧であった役行者役小角(えんのおづの 飛鳥時代700年頃)が神通力によって見つけた説、怪我を負った狸が傷を治す為に湯を見つけて治した等の説が残されています。
狸説に関しては、湯河原で傷を治した狸が人々に恩返しをした説があり、この狸を祀った神社があります。(万葉公園/狸福神社)町の人々も昔から狸をこよなく愛し、湯河原では狸にちなんだ「坦々やきそば」も新たに作られ、多くのお店で振舞われています。
戦争後に療養地として選ばれる
湯河原温泉のお湯は薬湯として有名ですが、とくに傷に効きめがある事から、後の療養場所として傷病兵の療養に指定され、全国的にも有名になりました。